女優にして企画団体 『蛇ノ目企画』主宰、TOEIC990、乗馬が得意で、舞台だけでなく、テレビにグラビア、ダンサーなどなど……。
逢阪えまさんのプロフィールや経歴欄には、様々な言葉が並びます。すべて、並大抵の努力では成り立たないものばかり。単に、「何にでも一生懸命な人」と片付けることはできません。
そこには、「自分の舞台に・演劇界に人を呼び込む」という、逢阪さんの強いお気持ちがありました。
新型コロナウイルスの流行によって、改めて浮き彫りになった演劇界の課題。逢阪さんの想い。
逢阪さんのご経歴をお伺いしました。
逢阪さんが本格的に演劇の道に進み始めたのは、高校生の時でした。
演劇部に所属していましたが、次第にそれだけでは満足できなくなり、ある劇団さんのオーディションに参加します。
高校生にして、 外部のオーディションへ。すごい行動力ですが、逢阪さんはご自身のことを“引っ込み思案”と称します。
「オーディションを受けようと思えたのは、本当に大好きな役者さん・作家さんがいたからです。今でも引っ込み思案はなおってない部分がありますよ。人前に出てる時は、きぐるみを着ている感覚です。笑」
それにしても演劇は人前に出る、“引っ込み思案”な人とはイメージが離れているようにも思われます。逢阪さんは、そもそもなぜ演劇に興味を持ったのでしょうか。
「“物語や世界を作りたい”という思いがあったからです。
昔から活字中毒というくらい本が好きで、物語が好きだったんです。自分でもその世界を作りたい、という気持ちからでした。この気持ちは今も変わっていません」
大きな転機を迎えるのは、高校卒業の時。逢阪さんは、アメリカの大学に進学を決めます。しかも、既に日本の大学に受かっていたにもかかわらず、です。
「高校の図書館にすごく面白い論文があったんです。それを書いたのがアメリカの大学教授で、その人の下で勉強がしたい、と思いまして。
『あなたの授業を受けるにはどうしたらいいですか?』と手紙を書いたら、『推薦状を書いてあげるから、うちの大学に来なよ』とお返事を頂きました。
その後試験を受けて、無事入学できることになりました」
劇団のオーディション、大学選びと、大好きなことには一直線。そんな逢阪さんでしたが、アメリカに行ったことで、一度、大好きだった演劇の道を離れることになります。
アメリカでも大学はもちろんのこと、スクールに通って演劇を続けました。音響や制作などの勉強もして、知識を広げます。
それにもかかわらず、逢阪さんは演劇をやめようと思ったというのです。
「なんというか、『私、出演者じゃなくても良いな!』と思ってしまいました。
アメリカの演劇スクールにいた女の子たちは、皆『私が主役!』という強い意志を持っているようで。同じオーディションを受けようものなら、結果発表の日にはかなり険悪になったりしました。ハイスクールもののドラマみたいですよ。笑
先程も言った通り、私は“物語や世界を作る”ということに一番興味があったので、“役”や“役者”にこだわりがないことに気づいてしまったんです。
“物語を作る”ことへのこだわりに自覚的になったのは、この時かもしれません」
役者の道を役者という立場から距離を置いた逢阪さんは、最終的に7年の月日をアメリカで過ごします。
ダンスなど他のことに興味も向いていて、日本に戻った頃は、いわゆる“普通の”仕事をしよう! と思っていたそうです。が、逢阪さんはお世話になった先輩から声を掛けられ、制作側として演劇の道に戻ります。
しかし次第に、逢阪さん自身が役者をやる“必要”が出てきました。
「制作――裏方のお仕事をさせてもらっていると、キャスティングに関わることもできるんですよね。そうすると、『この作品・この役には絶対この人だ』と思うことがあります。でもキャスティングで重視されるのは、役のイメージと集客力、両方なんです。『この役はこの人にやってもらいたいけれど、集客が不安だね』ということがよくありました。それが悔しくて……。
じゃあどうしようと考えて、『それなら自分が集客力のある存在になって、理想の物語を届けたい』と思いました」
そう決意した逢阪さんは、まずは集客力を高めるためになんと、アイドルグループに所属しました。
地下アイドル時代、逢阪さんが力を入れたのはライブ配信。一日中配信を続けることを2週間連続で実施したこともあるそうです。(目を開けたまま寝言を言うくらいぎりぎりまで配信し、早朝起きて3秒で配信を始めるような生活だったそう。恐ろしいほどのタフネスです)
「アイドル活動では、配信という広い世界を知ることができました。
それも含めて、“自分で発信する”ということを学ぶことができ、現在も非常に役立っています」
個人として高い発信力、求心力、そして演技力を持つ逢阪さんですが、企画団体『蛇ノ目企画』の主宰としても精力的に活動してきました。
逢阪さんが一緒にやりたいと思う人と、逢阪さんの“創りたい世界”を舞台として発信してきたのです。
しかし誰よりも集客し、誰よりもパワフルに動いてきた活動に変化が訪れたのは、2020年3月でした。
新型コロナウイルスが全世界的に流行し、徐々に自粛がはじまった頃です。
逢阪さんはその段階でもう、「しばらく主宰の舞台はできないな」と感じていたそう。
「3月下旬ごろまでは、ちらほらと公演を続けている劇団さんもありましたし、主宰をやっている身として、なんとか決行したいという気持ちは痛いほどわかりました。
でも、私は好きな人たちと一緒に仕事をしたくて主宰をしているのに、その人たちを危険に晒してしまっては、意味がありません。演者さんやスタッフさん、何よりお客様の安全確保に、私は主宰として責任を持てないと感じました。
加えて、頭の片隅でも『病気がうつるかもしれない』と思っている状態では、お客様も十分に舞台を楽しんでもらえないと思ったんです」
出演者としての仕事もキャンセルが相次ぎ、6月、7月、8月と決まっていた舞台出演は、全てなくなってしまったそう。
収束の目処がつかない状況に、逢阪さんは今も頭を悩ませます。
「10月に舞台を企画したいと思っているので、稽古をはじめる9月までに収束してくれれば良いのですが……」
心配の種として、まず浮かぶのはやはり金銭的な事情です。
「企画した舞台を直前にキャンセルにすると、私が損害を負わなければなりません。劇場代、演者さんやスタッフの皆さんへの給与など……10月の劇場もおさえているので、既に支払いは発生しています。
劇場との契約書には大抵、『天災の影響』であれば返金可というような文言が記載されているのですが、今回のコロナウイルスが天災に入るのか……。お金がなくなってしまっては、物語を届けることそのものができなくなってしまいます」
そして逢阪さんは、「様々な支援があるので、申請も含めて検討中です」とも教えてくださいました。
また、これが続けば今後の活動に必要な場である劇場も潰れてしまいかねません。演劇やエンターテイメントの世界。そこに人生を賭ける人たちにとっては、とても難しい問題です。そこに人生を賭ける人たちにとっては、とても難しい問題です。
とはいえ、自粛はしても停滞する逢阪さんではありません。
今だからできることを、力の限り行っています。
「オンラインコンテンツにも参加していますし、配信を積極的に行うことで、ファンの方との繋がりを強くできるチャンスだと思っています。
アイドルを辞めたあとも配信は続けていたのですが、舞台稽古が入ってしまうとなかなか時間が取れなくて。それが今はほぼ毎日配信できています。私としても、ファンの方とお話するのはすごく楽しいんですよね。
あと、先程もお話した10月の舞台に向け、公演できるという前提で動いています」
演劇界についても、このような状態になったからこそ、良い方向に変わりつつある部分もあると言います。
「生の舞台ができなくなって、業界全体が発信方法を模索するようになりました。それはすごく良いことだと思います」
逢阪さんは地下アイドル時代、SNSやライブ配信など、あらゆる方法で発信することを学びました。知ってもらうことが何より大事だという実感がありました。
そのため以前から、演劇界は“知ってもらうため”の発信や、“現場に来てもらうため”の発信が弱いと感じていたそうです。
「舞台の予告ムービーを作って、YouTubeに載せるだけでも違うと思うんです」
次のステップ、ステージに進みはじめた演劇界について、逢阪さんは更に次の段階を考えているそうです。
「次は舞台とオンラインのコラボレーションの仕方を考えていく必要があると考えています。
単純に舞台のライブ配信というのも良いのですが、もっと何か楽しいことができないか、と考えています。広く知ってもらえるコンテンツでありながら、“現場に行ったら楽しそう”とか“家にいても物語の中に深く入り込める”というような……」
“コロナ後”のことにまで思いを馳せる逢阪さんの表情は、とても生き生きとしていていました。
先のこと、現状のこと、そしてこれまでのことまで考える必要のある今の状況で、逢阪さんにとってファンはどういう存在なのでしょうか。
「本当に、家族みたいな存在だと思っています。他に言葉が見つからないです。
話を聞いてくれて、話をしてくれて、相談できる存在で……」
そんな風に、とても嬉しそうにお話してくれました。
初めての主演舞台にお花が届いたときには、思わず涙を流したという逢阪さん。
お花について聞いてみると、一つひとつ写真に撮って、花言葉まで調べるそうです。
ファンの方を本当に大切に想っていらっしゃることが、言葉の端々から伝わってきました。
そんな大切なファンの方に伝えたい言葉を、逢阪さんからお伺いしました。
「私自身はどんな状況でも、いいと思うお話をみんなと共有するということ、そういうことをずっとやりたいと思っています。これは変わらないので、これからも続けていきます。
……ううん、そうじゃないな……皆と一緒に、やっていこうね!」
「アメリカ行きはぎりぎりまで両親に伝えてなかったんですよね」
「2週間連続配信の時は、イベントで他の有名なアイドルさんたちが並ぶ中1位にしてもらいました」
そんな風にけろりとそう言う逢阪さんは、インタビューアのSakaseruスタッフの常識を越えます。
でもそんな型にはまらない様子が、ものすごく魅力的な方でした。
インタビュー時間は丸々1時間ほど頂いたはずなのですが、あっという間に時間が過ぎ、いつまでもお話したいと感じました。
また同時に、舞台の上で拝見した所作ひとつひとつから伝わる、情熱の理由を理解できたようでした。逢阪さんは「この人の下で勉強したい」と思えば教授に英語で手紙を書きますし、「この人をキャスティングしたい」と思えば自分が集客できる存在になるべく、誰よりも努力できる方なのです。真っ直ぐ情熱的、その気質は思想、言葉、所作、すべてに表れています。
全世界の誰もが影響を受けるコロナウイルスに関しても、決して明るくはない演劇界の現状を語りながらも、絶望的な空気はまとっていらっしゃいませんでした。そして逢阪さんのお話を聞いていると、「コロナの後も、演劇界は良い方向に動いて行くのではないか。逢阪さんや同じように情熱を持つ人達が、良い形にしていってくれるのではないか」と思わされます。
お話を聞いて、エネルギーを頂きました。お忙しい中、楽しいお時間、本当にありがとうございます。
10月の舞台、そしてその後のご活動も、心より応援しております!!
【取材・執筆】Sakaseruアスカ
【写真】逢坂様ご提供
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